電話で話せるだろう、腹心の友なら。

学校法人「加計学園」は26日、愛媛県今治市の獣医学部新設に関し、安倍晋三首相と学園の加計孝太郎理事長が平成27年2月に面会したとの記載がある県の新文書について「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えた」とするコメントを発表した。
 その上で「担当者の不適切な発言が関係者の皆さまに迷惑を掛け、深くおわびする」とした。 
 コメントでは、不適切な発言をした担当者が「当時は獣医学部設置の動きが一時停滞し、打開策を探している状況の中で活路が見いだせるのではないか」と考えたと説明している。
 愛媛県の新文書によると、27年2月25日に首相と加計理事長が面談。加計氏が同県今治市で国際水準の獣医学教育を目指すと説明したのに対し、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたと記載されていた>(以上「産経新聞」より引用)

 安倍氏の嘘に付き合わされるのにはウンザリだ。加計孝太郎氏と何十年来の友人関係で、それもかなり親密な関係で、加計氏が「獣医学部新設」に関して安倍氏に日頃から話していない、とする方に無理がある。
 面会記録があったとか、なかったとか、そんなことはどうでも良い。安倍氏と加計氏がどの程度親密かが問題なだけだ。つまり合わなくても電話一つで話が付くほど親密なのか、という友人関係の親密度の程度さえ分かれば良い。

 安倍氏が内閣官房に幹部官僚の人事権を掌握し、官邸の独断で実施できる「国家戦略特区」の制定など、権力掌握から五年有余の間、官邸密室政治で何をやって来たかが問われている。民間委員として竹中平蔵氏など「構造改革」論者を抱え込み、日本の社会を支えてきた様々な制度や慣習を「改革」という名で破壊してきた。
 今も「働き方改革」という名の下に三六協定などの長年の労使慣行を破壊し、野放図に規制緩和された派遣業法で派遣契約を結めば済むにも拘らず「高プロ法」を制定しようとしているのは、行く行くはすべての労働者を「高プロ法」の対象とする下心が丸見えだ。

 この期に及んでも、日本のマスメディアは客観的な報道に終始している。なぜ権力者の暴走に警鐘を鳴らさないのだろうか。高登勢経済成長を果たした当時の日本は改革しなければならないほど「間違った社会」だったのだろうか。
 改革しなければ日本は行き詰まっていた、とでもいうのだろうか。事は逆だ。生産拠点を国際分業と称して海外移転させず、国内で生産効率向上に資本投下していたなら、現状よりも日本のGDPは伸びていただろう。生産効率向上のために新規工場建設などが行われていたなら、工場建設に必要な道路や国土開発などの国内インフラ整備に当然政府資金を投下せざるを得ず、国土は現在よりも強靭化していたはずだ。

 安倍自公政権が小泉・竹中「構造改革」路線で突き進んできた日本のグローバル化・改造は国民所得の格差を拡大させ、多くの国民を貧困化させた。今後ともグローバル化が進めば「弱肉強食」世界へ日本国民が丸裸で放り込まれることになり、国内の労働形態が劇的な変化に見舞われることになる。
 加計氏など安倍氏の友達が優遇される政治も「弱肉強食」社会の先取りだ。それが安倍氏のいう自由な社会ということだろう。竹中氏はそれを「自己責任」という。安倍氏の暴走を手助けした有権者たちは今も30%以上存在しているとマスメディアが世論調査で報じているが、彼らもまた「自己責任」社会の到来を「自己責任」で乗り切らざるを得ない、ということを認識すべきだ。

 加計孝太郎氏と面会した記録が官邸にあるか否かと血眼になっているマスメディアは官邸密室政治を矮小化しているに過ぎない。別に官邸で安倍氏と会談しなくても、加計氏は「腹心」の友なら電話一本で済む話だろう。権力の安倍氏への一本化と官邸の掌握は済み、安倍氏が「ワタチり友・加計氏をよろしく」と発言しなくても茶坊主たちが上手く立ち回るようになっている。それでも官邸で加計氏と安倍氏の会談が必要だというのだろうか。電信・電話のない江戸時代でもあるまいに。

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